第2回 規格開発まで、なぜこれほど時間がかかったのか
‐労働安全衛生マネジメントシステムとの関わり
私自身は結構古くて、多分1995~1996年くらいからだと思います。ISO 14001が間もなく発行されるという時期だったと思いますが、当時から、労働安全衛生マネジメントシステムの規格も出るのではないかということが言われていて、私は何回もイギリスへ行っていました。というのも、1987年から1992年まで、イギリスに駐在していたので様々な接点があったのです。
そのうちBSIがBS 8800という労働安全衛生の規格を発行しました。それが1996年だったと思いますが、その頃から関与しています。向こうのコンサルタントを日本へ呼び、BS 8800規格概要説明会を1997~1998年ごろに数回開催したりしました。
その後、BS 8800の対抗軸として、オーストラリアや、ニュージーランド、フランスなど様々な国が国内向けの労働安全衛生規格というのを作り始めました。しかし、ISO9001からの歴史があるためかBSIの名前は強く、ブランドとしてもBS 8800がもっとも知れ渡っていたため、それをベースとして、先ほどお話ししたOHSAS 18001ができました。内容的にはBS8800と非常に似たようなものでしたが、もう一歩そこから抜け出して、インターナショナルなものを作りたかったのでしょう。私もその会議に出席していまして、そこでISO/PC283(ISO 45001を開発している委員会)の国際幹事であるBSIのチャールズ・コリー(Charles Corrie)氏と顔見知りになりました。
そのうちにOHSAS 18001の参加者を募集したいとチャールズが言うので、「じゃあ日本も入ろうか」という話で、国内の関係者に声を掛け、名乗りを上げました。
その後、ISOで労働安全衛生マネジメントシステムの規格開発提案が却下され、2005~2006年からはしばらく動きがありませんでした。そして今回のISO化が2013年からですから、まあ8年ぐらいですね。BSIとしては、ずっと我慢に我慢を重ね、時期を窺っていたのではないでしょうか。OHSAS 18001の認証数が増え、ILOがOHSASの力を軽んじてはいけないような状況が作られたのではないかと思います。2017年9月のPC283総会としては最後になるマラッカの会議では、チャールズが「私の25年の悲願だ」と言って、涙を流さんばかりに喜んでいましたよ。
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